昔の神原地区は、人の住んでいない湿地帯と海岸の砂原の沖ノ山(幕末に植林され緑が浜と命名)でした。真締川(間占川)から「新しい川」を掘り新川(1798)と呼ぶようになって、人が住むようになりました。その新川のそばに守護神として建立されたのが中津瀬神社です。明治元年(1968)頃は新川の両岸に10戸程度の人家があっただけでした。
「神原」という名称は古くからのものではなく、明治37年(1904)真締川の東岸に渡辺祐策翁が本坑を開き、常藤炭鉱とあわせて当時の小字名の「上原田」をとって「神原炭鉱」としたのが、神原という名称の最初であるとされています。